追悼 菊地敏明編集長を偲んで SSKA頸損 131号

SSKA頸損No.131 2020年6月17日発行
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追悼 菊地敏明編集長を偲んで

菊地さんとの思い出

全国頸髄損傷者連絡会前会長        
兵庫頸髄損傷者連絡会 会長 三戸呂克美


在りし日の菊地さん

 菊地さんとの出会いはかれこれ30年ぐらい前になるだろうか、頸損連絡会が全国組織として活動していく足掛かりを作るための会合が東京であった。三澤さん、小野さんなど今はいない頸損連の創世期の顔ぶれが集まり、その中に菊地さんもいた。菊地さんは当時、移動には車を使っており、自分で運転していました。今でこそ頸損で車に乗り移動している人はよく見かけるが、当時はそんなに多くはなかった。僕は菊地さん運転の車に乗せてもらい都心を走ったことをよく覚えている。当時は窓を開けたらなびく髪をお互い持っていた。気持ちの良いドライブだったとつい昨日のことのように思い出す。
 それ以後、菊地さんとは本部役員として一緒に行動することになる。会えばいつも笑顔で話しかけてくれる菊地さんにファンは多かった。それは、「菊地さんに頼まれれば嫌と言えないよ」と言って、引き受ける人が多かったことからもうかがい知ることができる。僕とは年齢も大きく違わないのに、いろいろ教えてもらうことがあった。もう気楽に教えてもらえないと思うと本当に寂しい。
 人一倍責任感が強く、体調がすぐれないときもヘルパーさんを代理にして全国大会に参加されていた。そんな菊地さんにもう会えないのですね。残念でなりません。
 心よりご冥福をお祈りいたします。


菊地さん、ありがとうございました

全国頸髄損傷者連絡会 副会長 八幡孝雄

 菊地さんが逝去される数日前、コロナ騒ぎの影響で、インターネットでの編集会議をしました。ずぼらな私と違い、まじめで几帳面な菊地さんは、きちんと段取りを決めて会議を終えたのですが、まさかその数日後に突然の訃報を聞くとは想像もできませんでした。
 頸損者のことをいつも思い、自分も大変な生活を送っているにも関わらず、困っている頸損者、支部活動の支援に真摯に取り組んでおられる姿は、頭が下がるばかりでした。また高齢のお母さんと同居している時も、お母さんに寄り添い面倒を見ている姿は感動でした。
 私は菊地さんや、亡き三澤さん、小野さん、闘病中の今西さんに、叱られながら今に至っています。菊地さんとは議論が白熱することがよくあり、人間的に成長させて頂きました。
 共に当事者運動に関われて、とても有意義でした、本当にありがとうございました。合掌


菊地さんを偲んで


 私が初めて菊地さんの存在の偉大さに気付いたのは、出会って間もなくの頃、2008年7月19日に全国の仲間たちが援軍となって私の地元で開催してくれたシンポジウム「重度障害者の自立・地域で生きる」の時でした。
 全国から選りすぐりの強者たちが集まってくれて、本当に圧倒されるばかりの会場の一番後ろに、静かに全体を見守っているような重鎮のような方がいて、全く目立たないのですが常に存在を感じさせる、それが菊地さんだったのです。
 その場で、たった6人のメンバーだけで「福島頸損友の会」は発足したのですが、今にも消えてしまいそうな私たちにいつも寄り添ってくれて、全国の仲間たちと繋げてくれて、今思えば菊地さんは私たちの育ての親のような存在でした。菊地さんが積み重ねてくれた「合同交流会」は私たち福島の仲間たちにとって唯一の出会いの場となっています。どのような形であっても、みんなの力を借りて繋げていきたい、そう願わずにはいられません。
 感謝の思いは尽きないのですが、頸損歴35年過ぎてしまったことを嘆いていた私に「私は50年過ぎましたよ」と穏やかな笑顔で応えてくれたのがつい昨日のことのように思い出されます。
 その笑顔の奥に想像もできない強さ、厳しさを感じました。どんな時でも向き合ってくれる、必ず言葉を返してくれる、そこにいるだけで誰もが安心する、菊地さんのような人になりたいと私は今でも思っています。


菊地さんと出会えて

全国頸髄損傷者連絡会 会長     
東京頸髄損傷者連絡会 会長 鴨治慎吾

 私が菊地さんと出会ったのは、確かまだ入院中のときに外出許可がでて、東京頸損連絡会の勉強会が初めてだったと記憶しています。第一印象は、温和で社交的で誰からも好かれる方だなと感じました。菊地さんとは、いろいろなイベント・行事等で仲良くしていただきました。
 菊地さんと私の思い出話です。一人暮らしを始めたばかりの頃のお花見会で、二人とも酔いつぶれ、新宿御苑の芝生の上で、電動車椅子二人で1時間以上リクライニングしたままで過ごした事。受傷時のエピソードで、プールの飛び込みで体が動かなくなり、軽トラの荷台に乗せられ、自宅に帰宅してから病院に行った話やアパートの二階に住んでいた時に、毎日介助者におんぶされ、一階に降りて自分で運転して車で職場に向かう話など、気兼ねなく話してくれた事。各地に会議に行った時には、ほとんど同じホテルに宿泊し、おいしい食事をご一緒させてもらった事など、語り切れないくらいあります。
 また、いろいろな場面で私に初対面の方を紹介してもらい、人と人を繋いでもらいました。それは、私の財産となりました。その他にも、「人」として「頸損」として、大変勉強させてもらいました。私は、菊地さんにはなれませんが、菊地さんを見習って、人と人との橋渡しをしていければと思います。今まで、おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。


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