赤尾広明さんのご逝去を悼んで SSKA頸損 No.130

SSKA頸損 No.130 2020年2月25日発行

赤尾広明さんのご逝去を悼んで


PDF 赤尾広明さんのご逝去を悼んで

全国頸髄損傷者連絡会 宮野秀樹

 全国頸髄損傷者連絡会・大阪支部の会長であった赤尾広明さんが、2020年2月3日にご逝去されました(享年49歳)。謹んで赤尾広明さんのご冥福をお祈り申し上げたい。

 私が赤尾さんと初めて出会ったのは、1997年に大阪支部主催で開催された「街に出よう」というイベントでした。たくさんの車椅子ユーザーが参加されている中で、ひときわ目を引く外国製の電動車椅子に乗っていたのが赤尾さんでした。失礼ながら、赤尾さんよりも彼が乗っていた電動車椅子に関心を抱いてしまい、どこのメーカーか、いくらくらいするのか、どれくらいのスピードが出るのか、質問攻めにしたことが強く印象に残っています。同じ第4番頸髄損傷でありながら最先端を走っていたその存在はキラキラと眩しいものでした。
 年が近いこともあり、話す話題も共通するものが多く、すぐに仲良くなりました。彼はどう思っていたかはわかりませんが、私は彼を常にライバル視していました。若くして大阪支部の会長となり、多くの会員をまとめ、そのリーダーシップを発揮している姿に憧れました。

 赤尾さんといえば、映画好きで野菜嫌い、aikoが好き、恋に恋する恋バナ好きというイメージが私にはあります。とりわけ私は映画の話をすることが多かったです。途中で頓挫しましたが「頸損者の生活の様子を映像化するプロジェクト」というのも一緒にやりました。今振り返ると最後までやり遂げて作品として残しておきたかったと後悔してしまいます。好きな言葉が「NO ATTACK NO CHANCE」でありながら、恋に臆病で“もうひと押し”が足りず、勇気の出せない自分を自分で元気づける可愛い一面もありました。「いや、俺はまだ諦めてないよ」となぜか私の顔を見るたびに言っていたのが印象に残っています。
 大阪支部の機関誌「頸損だより」の100号記念対談「頸損連の今後にかける夢」で、赤尾さんは「障害もプラスの力に変えられる頸損連でありたい」と語っていました。引用したい彼の言葉があります。「かつての僕自身がそうであったように、同じ障害を持つ多くの仲間との出会いを通して『頸髄損傷という障害があっても楽しく生きられるから、とにかく前に一歩踏み出してみよう!』というメッセージを頸損連から受け取ってもらいたい。」この言葉通り、仲間を思いやり、自らがやって見せることで踏み出す勇気を持てない仲間の背中を押していました。

 いることが当たり前で、いなくなることなんて考えもしなかった存在が、突然いなくなりました。あまりにも突然すぎて、訃報にリアリティを感じることができず、感傷に浸ることもできなかったのがせめてもの救いでした。それでも寂しいです。
 障害を問わず、多くの仲間を独りぼっちにさせない、社会との接点をなくさせない活動に取り組まれたそのご尽力にあらためて敬意を表したい。赤尾さんの意志を受け継ぎ、障害もプラスの力に変えられる頸損連とするため、活動に取り組むことを約束します。そうした思いが天に召された赤尾さんに届くことを願い、追悼の辞といたします。


2007年9月
DPI世界会議in韓国にて(右側)

関連記事:

カテゴリー: 機関誌「頸損」記事 パーマリンク